佐久地方 の変更点
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CENTER:|>|BGCOLOR(#ACFA58):CENTER:''佐久地方''(さく)| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:行政区画|[[JP]]:[[日本国>日本]]&BR;JP-20:[[長野県]]| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:旧区画|[[信濃国]][[佐久郡>信濃国佐久郡]]| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:包括地名|[[中部地方]]、[[東信地方]]| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:カテゴリ|[[Category/Region/J/4/信濃/E/佐久]]| // ''[[概要>#Overview]]'' // ''[[安全情報>#SafetyInformation]]'' // ''[[行政区画>#AdministrativeDivision]]'' // ''[[地域名>#Regions]]'' // ''[[ランドマーク>#Landmark]]'' // ''[[事項>#Events]]'' // ''[[リンク>#ExternalLink]]'' **概要 [#Overview] CENTER:|>|BGCOLOR(#ACFA58):CENTER:''佐久地方''| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:行政区画|&listref(行政区画,長野県);| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:旧区画|[[信濃国佐久郡]]&BR;| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:包括地名|[[中部地方]]&BR;[[東信地方]]&BR;| |BGCOLOR(#E0F2F7):CENTER:カテゴリ|[[Category/信濃佐久地方]]&BR;| #CONTENTS **概要 [#Overview] 歴史的な信濃国佐久郡に相当。 佐久盆地を中心とした地方。 北には浅間山を介して群馬県北毛と、東は関東山地を介して群馬県西毛と、南は山梨県に接する。西南は八ヶ岳を介して[[諏訪地方]]と接する。また、西北の[[小県地方]]は千曲川の下流にあたる。 **行政区画 [#AdministrativeDivision] [[立科町]]、[[小諸市]]、[[御代田町>南佐久郡御代田町]]、[[軽井沢町>南佐久郡軽井沢町]]、''[[佐久市]]''、[[佐久穂町>南佐久郡佐久穂町]]、[[小海町>南佐久郡小海町]]、[[北相木村>南佐久郡北相木村]]、[[南相木村>南佐久郡南相木村]]、[[南牧村>南佐久郡南牧村]]、[[川上村>南佐久郡川上村]]。 また、歴史的には[[東御市]]の旧北御牧村も含む。 **地域名 [#Regions] -川西 --'''[[佐久市浅科地区]]''' --'''[[佐久市望月地区]]''' --'''[[東御市北御牧地区]]''' --'''[[北佐久郡立科町]]''' -浅麓 --'''[[小諸市]]''' --'''[[御代田町>南佐久郡御代田町]]''' --'''[[軽井沢町>南佐久郡軽井沢町]]''' -'''旧[[佐久市]]''' --'''[[佐久市浅間地区]]''' --'''[[佐久市東地区]]''' --'''[[佐久市野沢地区]]''' --'''[[佐久市中込地区]]''' -南佐久北部 --'''[[佐久市臼田地区]]''' --'''[[南佐久郡佐久穂町]]''' -南佐久南部 --'''[[小海町>南佐久郡小海町]]''' --'''[[北相木村>南佐久郡北相木村]]''' --'''[[南相木村>南佐久郡南相木村]]''' --'''[[南牧村>南佐久郡南牧村]]''' --'''[[川上村>南佐久郡川上村]]''' ---- :芦田八箇|芦田村(立科町芦田)を中心とする8か村と新田を指した。 現在の立科町に加え、佐久市茂田井、東御市八重原を指す。 立科町(と佐久市茂田井)は、境界線から見える印象に比べて地形的には近縁である。 :八重原|東御市南東部の台地状の地域。 江戸時代に開拓された台地の新田の一つ。 境界線の大半が傾斜地となっている。 :久保通り|東御市大日向・下之城。 台地に挟まれた鹿曲川の谷である。 北御牧庁舎などがある。 :川添い|東御市布下・島川原・羽毛田。 千曲川沿いの低地。 :御牧原|東御市、小諸市、佐久市の境界付近にある台地状の地域。 周囲を傾斜地で囲まれているため、馬の放牧地として古代から利用されていた。 水利は悪かったが、江戸時代になって新田開発が盛んとなり、多くのため池が作られた。 周辺の村々が開発したため、行政地名としては東御市&size(12){(大字)};御牧原以外にも複数の大字に分かれている。しかし、大字の下のレベルの地名で御牧原/御牧ヶ原となっている場合が多い。(ただし、佐久市印内は印内原) :桜井|千曲川と片貝川合流地点付近にある。現在の佐久市&size(12){(大字)};桜井。江戸期には上桜井村・中桜井村・下桜井村・桜井新田に分かれていたが、明治期に合併して桜井村となった。 :田口地区|佐久市のうち、旧臼田町北東部にあたる。 佐久市臼田地区のうち田口地区は&size(12){大字};田口、&size(12){大字};下越、&size(12){大字};三分、&size(12){大字};清川から成る。このうち、清川以外は、中世には田口郷であった。 :田口|佐久市田口。明治初期に上中込村、田野口村が合併して田口村ができたが、上中込村は寛永年間に田口村(田野口村?)から割かれてできたものであるため、古に復したと言える。 :川西|行政的には、望月町、浅科村、立科町、北御牧村の4町村を指していたが、望月町、浅科村が佐久市に合併し、北御牧村が東部町と合併して東御市となってからは使われることは少なくなった。 なお、広義には上記4町村に加え、小諸市川辺地区も含む。 :板橋|江戸時代に、川上郷の西樋沢村が野辺山に移転してできた村。 明治期に樋沢村と合併して大明村を作るも、分村して南牧村と川上村に別々に合併したのは、地理的な問題か。 :川上|江戸時代の川上郷。現在の南佐久郡川上村。 **リンク [#ExternalLink] -[[北佐久郡3町までの歴史&BR;長野県議会会派 信州さきがけ・トライアル信州|2017/12/12 火曜日:http://www.trial-shinshu.jp/?p=3713]] -[[古代・中世における牧制度の変遷と貢馬&BR;小林 幹男|長野女子短期大学研究紀要|1996-12-10:https://nagajo-junior-college.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=16&item_no=1&page_id=13&block_id=17]]