知覧地方 のバックアップ(No.2)


知覧の行政区画史

古代においては、薩摩国給黎郡に属していたという説もあるが、給黎郡の管轄した郷は給黎郷しかなく、これは喜入に当たると考えられるため、地形を加味すると不自然なものになる。よって、河辺郡に属していたという説もある。

中世においては、知覧院。

江戸時代には、薩摩藩領の薩摩国知覧郡(~1664年)のち給黎郡知覧郷となる。

明治時代には郡区市町村編成法のもと給黎郡に属し、後に町村制のもと給黎郡知覧村が発足した。
のち、郡の統廃合により、川辺郡に転属。

昭和7年に知覧町。平成19年に南九州市知覧地区となる。