伊豆地方 のバックアップ(No.16)


第8類:地域情報>82:アジア>東アジア日本

方言

方言アクセントに関する研究は乏しいが、南部に特殊なアクセントが分布していることが判明している。

地域名

  • 口伊豆/中伊豆/北伊豆
    • 北伊豆(三島市。函南町)
    • 伊豆の国市、伊豆市
  • (江戸時代の内浦組/古代の吉妾郷)
    • 内浦(沼津市内浦地区:重寺、小海、三津、長浜、重須)
    • 西浦(沼津市西浦地区:木負、河内、久連、平沢、立保、古宇、足保、久料、江梨)
  • 西伊豆
    • 古代の井田郷
      • 沼津市戸田地区(井田、戸田)
      • 伊豆市土肥地区(小土肥、土肥、八木沢、小下田)
    • 松崎町
      • 三浦(さんぽ):岩地・石部・雲見
    • 西伊豆町
      • 田子:大田子(北部区)と井田子(南部区)
      • 仁科
  • 奥伊豆/南伊豆
    • 下田市
    • 南伊豆町
    • 東伊豆町
    • 河津郷(河津町)
  • 東伊豆
    • 熱海市(初島、泉、伊豆山、熱海、上多賀、下多賀、網代)
    • 伊東市

各論

仁科
現在は西伊豆町の一部。南豆風土記によれば、寛文以前は仁科村だったが、寛文5年に大澤里村が分立。同9年に一色村・中村が分立。また年代不明に門野村が分かれ、仁科村は濱村と呼ばれるようになった。明治22年に門野以外が合併し元の名に戻ったとのこと。
岩科
松崎町のうち岩科・道部・岩地・石部・雲見は中世には那賀郡仁科庄岩科郷に属していたか。岩科・道部は岩科川に沿い、岩地・石部・雲見は三浦(さんぽ)と呼ばれる海岸地帯。
下田
もとは本郷村の一部であり、低地側にあったので下田となった。

内浦と西浦

歴史的には内浦と西浦の範囲は変動・重複が起こっている。内浦の最広義として、北江間から小下田までの広大な範囲が内浦組があったが、これは管理単位上の都合のようにも考えられる。

現行幕末期後北条氏古代大字(冠称省略)
沼津市
内浦地区
内浦九ヶ村西浦庄吉妾郷重寺
小海
三津
長浜
重須
沼津市
西浦地区
木負
河内
久連
平沢
江梨五ヶ村立保
古宇
足保
久料
江梨
沼津市
戸田地区
井田郷井田
戸田
伊豆市
土肥地区
小土肥
土肥
八木沢
小下田

小海村は三津村から分立して成立、河内村は木負村から分立して成立しているため、西浦庄には記載されていない。

十二組

豆州志稿. 巻之1
国立国会図書館デジタルコレクション

三島組27宿村三島~南條
谷田組20村伊豆佐野~奈古谷
田中組20村北江間~大仁
内浦組20村重寺~小下田
狩野組27村堀切~湯ヶ島
大見組27村郷~筏場
東浦組5村赤澤~片瀬
川津組17村梨本~見高
稻生澤組19村茅原野~白濱
加納組22村大賀茂~伊濱
松崎組20村雲見~江奈
宇久須組8村宇久須~門野

組ニ入ザル村:39村

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