佐久地方 のバックアップ(No.6)
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概要
歴史的な信濃国佐久郡に相当。
佐久盆地を中心とした地方。
北には浅間山を介して群馬県北毛と、東は関東山地を介して群馬県西毛と、南は山梨県に接する。西南は八ヶ岳を介して諏訪地方と接する。また、西北の小県地方は千曲川の下流にあたる。
行政区画
立科町、小諸市、御代田町、軽井沢町、佐久市、佐久穂町、小海町、北相木村、南相木村、南牧村、川上村。
また、歴史的には東御市の旧北御牧村も含む。
地域名
- 芦田八箇
- 芦田村(立科町芦田)を中心とする8か村と新田を指した。
現在の立科町に加え、佐久市茂田井、東御市八重原を指す。
立科町(と佐久市茂田井)は、境界線から見える印象に比べて地形的には近縁である。
- 八重原
- 東御市南東部の台地状の地域。
江戸時代に開拓された台地の新田の一つ。
境界線の大半が傾斜地となっている。
- 久保通り
- 東御市大日向・下之城。
台地に挟まれた鹿曲川の谷である。
北御牧庁舎などがある。
- 川添い
- 東御市布下・島川原・羽毛田。
千曲川沿いの低地。
- 御牧原
- 東御市、小諸市、佐久市の境界付近にある台地状の地域。
周囲を傾斜地で囲まれているため、馬の放牧地として古代から利用されていた。
水利は悪かったが、江戸時代になって新田開発が盛んとなり、多くのため池が作られた。
周辺の村々が開発したため、行政地名としては東御市(大字)御牧原以外にも複数の大字に分かれている。しかし、大字の下のレベルの地名で御牧原/御牧ヶ原となっている場合が多い。(ただし、佐久市印内は印内原)
- 根岸
- 佐久市根岸、東立科。
もとは根際村であったが、竹田・糠尾・平井・沓沢の4村に分かれた。
明治9年に竹田・糠尾・平井・沓沢の4村が合併して根岸村となる。
- 桜井
- 千曲川と片貝川合流地点付近にある。現在の佐久市(大字)桜井。江戸期には上桜井村・中桜井村・下桜井村・桜井新田に分かれていたが、明治期に合併して桜井村となった。
- 田口
- 佐久市のうち、旧臼田町北東部にあたる地名。
佐久市臼田地区のうち田口地区は大字田口、大字下越、大字三分、大字清川から成る。このうち、清川以外は、中世には田口郷であった。
- 海瀬
- 中世には海瀬村であったが、上海瀬村、海瀬新田村、下海瀬村に分かれ、明治時代に再び海瀬村となる。海瀬駅や佐久穂小中学校などがある。
- 畑
- 中世には畑物村であったが、上畑村、中畑村、下畑村、大窪村に分村。明治9年に畑村となる。現在は佐久穂町大字畑。佐久穂町八千穂庁舎、旧八千穂中学校などがある。
- 川西
- 行政的には、望月町、浅科村、立科町、北御牧村の4町村を指していたが、望月町、浅科村が佐久市に合併し、北御牧村が東部町と合併して東御市となってからは使われることは少なくなった。
なお、広義には上記4町村に加え、小諸市川辺地区も含む。
- 板橋
- 江戸時代に、川上郷の西樋沢村が野辺山に移転してできた村。
明治期に樋沢村と合併して大明村を作るも、分村して南牧村と川上村に別々に合併したのは、地理的な問題か。
- 川上
- 江戸時代の川上郷。現在の南佐久郡川上村。