日本の行政地名史 のバックアップ(No.10)
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古代
大宝律令(701年)
701年の大宝律令は、広域にわたって等質性の高い行政区画を制度化し、諸国を五畿七道として編成した。
京に近傍の諸国は五畿内とし、それ以外の諸国は七つの道の下に置いた。
ただし、道の行政的一体性という点では難点があり、軍事的には按察使が導入されている。
道前・道後
中世
江戸時代
近現代
新政府では、1868年(慶応4年/明治元年)に天領などに裁判所(という名の行政区画)が置かれ、後に府県に整理された。(府藩県三治制)
1871年(明治4年)に廃藩置県が行われた。この時点では領域的には藩を県に転換しただけのものであり、錯綜した境界線や飛地が多数存在した。
同年末に第一次府県統合と呼ばれる府県の整理が行われ、領域的に連続した75府県となった。
また、同年からは村をまとめて戸籍区が設置され始め、1872年(明治5年)末には大区小区に移行した。大区と小区の行政区名は全て数字であった。
郡区町村編成法
1878年(明治11年)7月22日、郡区市町村編成法が施行され、同年から1878年(明治12年)にかけて順次実施された。これにより、小さな郡は統合され、また大きな郡は分割され、現代の郡名の基となった。また大区小区制のもとでは行政区ではなくなった藩政村が(合併はあったにせよ)再び行政区画となった。
明治の大合併
1888年(明治21年)には町村の合併が行われた。多くの場合、旧村に大字が設置された。
年表
- 慶応4年(明治元年)閏4月21日:府藩県三治制
- 藩という呼称はこのときに採用された
- 明治元年12月7日:陸奥国・出羽国分割
- 明治2年8月15日:蝦夷地を北海道とし、11ヵ国を置く
- 明治4年4月4日:戸籍法、戸籍区が順次置かれる
- 明治4年7月14日:廃藩置県
- 明治4年11月13日:この時までに3府72県に整理される。
- 明治5年9月14日:琉球藩を設置
- 明治6年11月15日:香川県を廃して名東県に合併
- 明治8年9月5日:香川県を再設置(名東県から)
- 明治7年7月12日:琉球藩を廃して内務省の管轄とする
- 明治9年4月18日:奈良県を廃して堺県に合併
- 明治9年8月21日:香川県を廃して愛媛県に合併
- 明治12年4月4日:沖縄県を置く
- 明治20年11月4日:奈良県を再設置(大阪府から)
- 明治21年12月4日:香川県を再設置(愛媛県から)
- 明治22年4月1日:市制町村制施行
- 明治23年(1890年):府県制、郡制を施行(以後明治33年まで郡を整理統合し郡会を置く)
- 大正12年(1923年):郡会廃止。郡は単なる地名となる。
- 昭和22年8月:地方自治法施行
- 昭和28年10月:町村合併促進法施行(昭和の大合併が開始~昭和36年まで)