安房地方 のバックアップ(No.10)
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CONTENTS
概要
安房国に相当する千葉県南部の地域である。
地域名
- 外房
- 長狭郡(鴨川市の大部分)
- 朝夷郡
- 鴨川市江見地区
- 南房総市和田地区
- 南房総市丸山地区
- 南房総市千倉地区
- 白浜(南房総市白浜地区)
- 内房
- 平群郡/平郡
- 安房郡
- 館山市九重地区
- 館山市館野地区
- 館山市北条地区
- 館山市館山地区
- 館山市西岬地区
- 館山市神戸地区
- 館山市富崎地区
- 館山市豊房地区
旧平群郡/旧平郡
- 鋸南町
- 保田(鋸南町保田地区)
- 佐久間川流域
- (鋸南町勝山地区)
- (鋸南町佐久間地区)
- 南房総市富山地区
- 岩井(南房総市富山地区のうち岩井地区)
- 平久里(南房総市富山地区のうち平群地区)
- 南房総市富浦地区
- 南房総市三芳地区
- 館山市船形地区
- 館山市那古地区
各論
- 長狭
- 安房郡に合併する前の長狭郡に由来。行政的には鴨川市に相当する。天津小湊町が合併する前は行政的にも「長狭地区」が使われた。
なお江見地区は鴨川市の一部だが、長狭郡には含まれていなかった。
- 東条
- 広義には鴨川市のうち東条地区である。しかし、東条三か村は東町(東村)・西町(西村)・広場村であり、和泉は含まない。(とはいえ、絵図には一緒に掛かれ、地形的にも関連性は高いと見える)
「東条」の歴史
房総太郎のページ
- 朝夷(あさい/あさひな)
- 安房郡に合併する前の長狭郡に由来。行政的には南房総市の東部(和田地区・丸山地区・千倉地区・白浜地区)に相当し、合併前は「朝夷地区」が使われた。また、「外房地区」と呼ばれることもある。
なお、白浜地区の西部は朝夷郡ではなかったが、地形から推察される環境を考えると、朝夷に含めるのが自然であるか。
- 曽呂
- 鴨川市曽呂地区。曽呂川中上流域の地域。
『此村々ハ長狭郡ニ属シ往古曽呂郷に隷ス』
明治22年千葉県町村分合資料 十八 長狭町村分合取調 :曽呂村 沿革 の項
- 鴨川市吉尾地区
- 吉保郷と横尾郷の合成地名。
- 三原
- 南房総市和田地区の上三原・黒岩・中三原・下三原が相当。
古代においては御原郷か。
寛永8年三原村を分割して上三原村と下三原村に。
のち下三原村から中三原村を分村。
明暦元年に上三原村から黒岩村を分村。
- 白浜
- 千葉県最南部の海岸地域である。南房総市白浜地区に相当。
古代においては安房郡白浜郷(大日本地名辞典より)であったが、近世には西部が安房郡に、東部が朝夷郡に属しており、明治維新後も安房郡長尾村と朝夷郡白浜村であった。昭和の大合併時に白浜町となり平成の大合併で南房総市の一部となる。
- 鋸南
- 鋸山の南に位置することからついた名。平成の大合併前鋸南町と南房総市の西部(富山地区、富浦地区、三芳地区)に相当する。
ただし、現在の南房総市の西部は「内房地区」で言及されることもある。
安房郡に合併される前の平郡の大部分に相当する。
- 佐久間
- 往古は勝山まで含め、佐久間川流域が狭隈郷(佐久間郷)であった。また、下流域(勝山地区の大部分)を除く地域は佐久間村であったが複数の村に分村した。明治時代には上流部が佐久間村として発足し、のちに鋸南町佐久間地区となる。なお下流域は勝山地区。
- 平久里(へぐり)
- 南房総市富山地区のうち平群地区は平久里郷であった。この一帯は平久里と総称されてきたという。
- 岩井
- 南房総市富浦地区の西部と鋸南町岩井袋は古代には岩井郷であった。
(とはいえ、地図上で見る限り、岩井袋の生活圏は勝山にあるように思われる。)
- 真倉
- もとは館山市のうち館山・下真倉・上真倉を指した。